憲法改正の主張の薄っぺらさ
5月3日の憲法記念日に向けて、今年もまた憲法改正についての話題が多く出始めるころかと思います。
憲法改正をすべきという抽象論や、施行70年も経ったから改正すべきとか、時代に合わない(具体的に何が合わないかは不明)という論などは、まったく中身がある主張ではありません。
現在の日本国憲法も、多くの国の憲法もそうですが、
国家権力を規制して国民の権利・自由を守るルールが「憲法」です。
そういった憲法についてのそもそもの理解を欠く”憲法改正”の主張は、
国民の自由を軽んじるもので、
我が国を自由主義の国々から離脱させる主張ということになります。
日本国憲法には改正についての規定もありますので、
上記の「憲法」の意義を前提として、具体的な必要があれば改正することは日本国憲法においても許容されます。
その具体的な改正の必要は何があるのか、というのが本来は改正で議論されるべき問題なのです。
何かの政策目的を実現したいのであれば、
まずは国会において法律を作り、予算を充てて、その政策を実現すればいいのです。
その政策が憲法に抵触してしまう内容であれば、
その法律を作る前に、国民に対して、その政策の必要や国民の権利自由を侵さないことについての説明をした上で憲法を改正を議論すればいいのです。
単に憲法改正という”成果”を出したいという政治家の妄執でおかしな改正の動きをされては
現在と将来の国民にとって実害が生じかねません。
一昨年くらいの憲法改正の主張の流行を覚えていますか。
教育の全部無償化でした。
教育の全部無償化をしたければ、法律を作り、予算を充てれば実現します。
昨今言われている自衛隊の明記についても、改憲をしたいだけの口実でしょう。
憲法改正の言説で注意しなければならないのは、
立法で実現すれば済むものを改憲の口実にして国民を騙そうとしていないかということです。
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